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私が今までに為し得たこの仕事も結局人と人との関わり合い、
そして人の和だったと思います。
世界で三本の指の入る『ピッケル作りの達人』 二村善市さん
 生まれ育った少年期を鉋屑の中で過ごし、指し物大工への道を歩きだした私が、第2次世界大戦の影響で小学校5年から学徒動員に駆り出され配属された所がトヨタ自動車内の鍛造部門でした。この木と鉄の組み合わせが、総ての流れを決めたようです。
 戦後になって刀鍛冶に弟子入りし4年間修行しましたが、昭和25年から自立して仕事をするようになり、自由になった時間でスキーを始めたのです。終戦直後の何も無い時で宿に泊まるにもお米が要り、戦前からスキーをしていたブルジョワでも行けなかった時代に、貧乏鍛冶屋が行ったのです。周囲の人からは散々笑われ貶されましたが、そのスキーに行ったお陰で内藤氏に出会い、片桐先生にも会えたのでした。しかも、その後内藤氏に「ピッケルを作ってくれ」と言われ三本ほど作ったのが、後年本格的に作る伏線になったのです。
 故長谷川氏に付いても、当時ダブルアックスという登山技術によってピッケルが素材から構造に至るまで変わり、従来のピッケルだけを作り続けていた私にも、この技術に対応した作品を創り出す必要が有りました。登山用具界ではイギリス製等のメカニカルな製品が店頭に並んでいましたが、皆メタル・シャフトでした。私の作るダブルアックス用ピッケルはウッド・シャフトです。この場合軽量化に問題が有りましたが何とかバランスを取る事が出来ました。K氏から注文の来た時には試作も終わっており絶妙なタイミングでダブルアックス作りに間に合いました。

 1ヶ月後にはK氏のピッケルが出来上がり、私が上京しよういう前日に長谷川氏が電話をしてきたという事は偶然とは言えない何かが有ると思います。
 こうして、私の今まで歩いてきた戦後の50年間を振り返ってみますと、如何に多くの人々に支えられて来たかと思います。また困難に出会ったときに必ずと言っていいほど良い人に巡り会っています。ピッケルの関係では、セピア色の写真にでてくる野沢温泉村の片桐匡氏、“ピッケルのカルテ”の著者鎌倉市大町在住黒田圭介氏、川崎市のU氏、日本発条KK名古屋工場長S氏、大同製鋼中央研究所鉄鋼材料研究室長O氏、同研究員N氏、池袋秀山荘店長A氏、故人になられた登山家の長谷川恒男氏、元日本山岳会理事O氏、エベレストで行方不明になったK氏、作家の新田次郎氏等々。又ナイフに於いても港区西麻布のY氏、M.Aの三氏等々。数え切れない程、色々な人と、色々な場所で出会っています。私が今までに為し得たこの仕事も結局人と人との関わり合い、そして人の和だったと思います。
現在71才ですが、職人に定年はありません!此れからも気力と体力の続く限りがんばり、山内東一郎氏に続きます。
そして、われこそはピッケルを作ってやろうと言う人を待ちたいと思います。


ホームページ『FUTAMURA CRAFT』 http://www.sun-inet.or.jp/~zen1/
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